人生とは挑戦だと思うんだ。
俺には今一つの指針がある。
それは「100のやりたいことリスト」だ。
死ぬまでにやりたい、そんな願いや希望を書き込んだリストである。
ちなみにまだ全然埋まっていない。
その中の一つに「富士山に登る」という内容を設定した。
現在の俺は人生を楽しむにあたって、趣味が少ない。
基本的に数年前の俺は「アニメを見る!」ということぐらいしかなかった。
その少ないと思っていた趣味を増やそうと、
彼女と別れたことをきっかけに、
その時流行り始めていた「キャンプブーム」に乗っかって
キャンプを始めたりしていた。
話は変わるが、単純に山を登るということは
言葉だけでは伝わらないが「大変である」
故に、基本的に本当に登りたい人しか行かない。
何が言いたいかと言えば、俺個人としては
「基本的に他の人ができないような挑戦を己の人生に刻みたい」
という考えが根幹にある。
そして、「登山」=「大変」=「日本一の山、富士山はもっとヤヴェ!」
ということで基本的な一般の人間が登ろうとは思わんという結論だ。
登ったら俺の中の何かが変わる。
と、までは言わないが、その経験。その時感じた感情などは
俺の今後の人生の中で大きな意味を持つだろうと考えている。
俺は己の命を賭ける「挑戦」として「富士山」に登りたいと決意した。
巻き込まれ事故のゴッチ
さて、俺のやりたいこと「富士山に登る」は現在進行形で準備中であり、
今年の9月にそれは実行される。
そこには俺一人では行かない。
俺の弟であるゴッチが同行する。
はっきり言う。
弟は「マジで行きたくない!」と拒否しまくっている。
理由としては「面倒臭い!!」とのこと。
はっ倒してやろうか?
そもそもなぜ弟が同行することとなったのか。
それは、現在ゴッチは「挑戦する」または
「目標を夢想し、それを実行する手順を考える」と言う
人生を楽しむための思考とでも言えば良いのだろうか?
そういった行動、考え方、思考が拙い。
家にいればスマホを眺め、両親の手伝いもするが、
それがあるからと出かけるのも控えめ。
友達と少し遠出したりすることもたまにはあるが、
それも、どことなく物足りなさそう。
家でゲームをやっていても、同じゲームの繰り返し。
新しいの買ったらと声がけしても「面倒臭い」「お金かかるから嫌」
はっ倒してやろうか??
そんなゴッチを見ていて、
20代という若さがもったいないと思うのは俺だけだろうか?
体力も可能性もまだまだ広がる世代だ。
それが、家でスマホやゲーム、まして許せないのは
「つまらなそうな表情」でそれらを行なっている様子だ。
はっきり言って、身勝手に許せなかった。
だから強制連行する。俺のエゴの押し付けなのは十分にわかっている。
無事に帰って来なければならないと言う責任が増えたこともわかる。
けれど、今ここでゴッチを放っておくのはダメな気がした。
哀れゴッチ。兄であるテルの道連れに選ばれた瞬間である。
このことが決まったのは2024年に入ってすぐの頃。
ものすごい拒否っぷりだったが、それでも「やると決めたことはやる」のだ。
富士山登山は生半可な体力や覚悟では達成できない。
ここから俺とゴッチの体力トレーニングが始まる。
登山を何回か行なったり訓練したり。
その都度めちゃめちゃ嫌がるゴッチ。
諭すテル。
果たして無事に富士登山が達成できるのか!?
しばらくはこの登山について少し語っていきたいと思う。
コメント